チプルママ vol. 4
家族が患者を看病することはどういうことだろう、なんてことをフと考えてしまうことがあります。本当は、あまり考えないほうがいいと思うんですけどね。
看病するということはもちろん、患者本人に早く元気になってほしいから。その気持ちは、どんな家族の方々も同じだと思います。
でも、ときとして、それはとっても残酷だったりするんです。
家族としては、一日も長く元気に生きて欲しい、と願っています。たとえば治療がとっても苦しいものだったり痛みを伴うものであっても、なんとか乗り越えてがんばっていつかは元気になってほしい、と思ってチプルもチプルママもがんばっています。
でも、例えば「がん」のような、それもとくに治りにくい「がん」の看病となると、ある意味、一か八かの治療になってしまうことがあったりします。
抗がん剤が良い例で、チプルママの膵臓がんの完治は、よい抗がん剤が少ないようなのです。一般的に広まっている抗がん剤は、ジェムザールと呼ばれているもの。でも、外科手術後にジェムザールを使っても、ある程度の進行を押させることはできますが、完治させることは非常に難しいみたいです。
一般的な抗がん剤は、髪の毛が抜けたり味覚が著しく落ちたりします。そんな副作用とがんばって闘って生きて欲しい、痛みを乗り越えてがんばってほしい、と願うのは、ある意味家族のエゴなのかもしれません。
たとえ血の繋がった家族でも、その痛みを 100% 理解することはできませんから、「がんばれっ」というのは想像以上に簡単なことです。そんな「痛み」の分からない声をかけることの意味って、本当に声援として届いているのかな、子供として本当に親のことを思っているのかな、と不安になったりします。
でも、家族は「もっとも大切な自分の親の辛い姿を見せられる」という、違う側面で、精神的な苦痛を受けているのも事実です。そして、患者本人は、この痛みはきっと理解することができるんだと思います。患者は、病気の痛みと自分の家族に自分の辛い姿を見せている、迷惑をかけている、という二重の痛みを感じているんだなぁ、と思うと一刻も早く、この苦痛から開放してあげたい、と思います。
病気の完治という形の開放であればいいのですが、「がん」という病気のほとんどは、残念ながら別の方向での開放になってしまうことが多いんだと思います。
チプルたち家族は、けして無理強いはしたくないと思います。家族として一日も長く生きて欲しいと願いますが、もし、その気力、体力が失われてしまったとき、そのときは、本人の意思を尊重してあげたいと思います。まだがんばれる、という意志があれば、たとえどんな形であってもサポートしてあげたいと思います。
たかが「がん」という病気ごときで、家族の幸せ、自分の幸せは、けして失いたくないですからね。
看病って、自分のエゴを押し付けるのではなく、家族みんなの幸せを再確認して進むべき方向を見つめ直す、家族としての大切なシキタリのひとつなのかな、と思うようにしました。