チプルママ vol. 17
お通夜当日。
式場につくと、たくさんのキレイなお花で飾られた会場になっていました。
お花が好きだったので、明るくなってよかったと思います。
お通夜の前に、式場の上のお部屋で「湯潅の儀(ゆかんのぎ)」をしていただきました。
横たわったチプルママを、担当の方がキレイにシャワーで洗ってくれます。普通にお湯で流すだけだと思っていたんですが、普通にボディーソープやシャンプーで洗ってくれます。湯船につかることもできず、命日の 1週間ほど前に 15分しかシャワーに入れなかったので、キレイにしていただいたのがとても嬉しかったです。チプルママも喜んでいると思います。
涙があふれちゃいました。
その後、白い衣装に着替えて旅支度。
納棺。
棺の中に、チプルママを納めました。
お散歩のときのお気に入りの帽子とシャツ、入院していたときに使っていたプーさんのタオル、旅行が好きだったので世界遺産の本、どこに行ってもドライブできるように NewMINI と一緒に撮影した写真と家族みんなの写真を一緒に入れました。
お通夜には、たくさんのお友だちが来てくれました。
みなさん、たくさんの思い出話をして、たくさんの涙を流してくれていました。
チプルママの子供で良かったと思いました。
チプルママ vol. 18
告別式当日。
命日から数えて七日目の初七日を、繰り上げて法要していただきました。
僧侶さんにお経を唱えていただき、献花。
棺を開けて、参列していただいたみなさんにお花を入れていただきました。
今回はできるだけキレイにしたいと思って、洋花で飾っていただきました。
全身に花がいっぱい。
涙で少し曇ってしまったけど、少しでも長くチプルママの姿を見たくて、涙を拭くことはしませんでした。ただただ、じっと見つめていました。
不思議なことに、もうチプルママはそこにはいない感じがしました。
旅行の好きなチプルママだったから、今ごろはあちこち飛び回っているに違いないと、そんな気がしました。
火葬場へ移動し、骨になったチプルママと対面。
骨がところどころピンクになっていたので係の人に聞いてみたところ、「お花がたくさんあったからじゃないですか」とのこと。お花いっぱいにしてあげて、よかった。
骨もしっかり残っていて、すっぽり骨壷に収まりました。
それにしても、真っ白な骨です。
骨は丈夫だったんだなぁ。
骨壷には、愛用のメガネを入れてあげました。
どこに行っても、きちんと見えることでしょう。
NewMINI にたくさんの荷物を積んで帰宅。
久しぶりのドライブ。
そして、2ヶ月ぶりの帰宅です。
おかえりなさい。
お家がお線香の香りでいっぱいになりました。
チプルママ vol. 19
以前から、今日はなにもしない、と決めていたので簡単なお掃除と洗濯を済ませて、本当になにもしていません。
2年間、それなりにがんばってきたので、少しだけお休みです。
この 2年間を忘れないために、振り返ってみました。
2002 - 11
少し食欲が落ちる
胃がムカムカする
胃カメラの検査を受けるが異常なし
2002 - 12
2つほど大きな病院で診察してもらう
胃薬などを処方してもらうが効果なし
食事をすると胸焼けがひどい
2003 - 01
韓国旅行
お土産のキムチを食べて気持ち悪くなる
便が白っぽくなる
2003 - 02
61歳の誕生日
顔色と白目の部分が黄色くなる(黄疸)
知人の勧めで I 市立病院に行きその場で入院
鼻から管を入れ胆汁を抜く処置
3日ほどして S 先生から家族にだけすい臓がんステージ IV a の告知
奇跡的に転移が認められないので手術が可能であるとのこと
迷った揚げ句チプルママに告知、手術と抗がん剤治療を決意
すい臓がんについて三日間徹夜で猛勉強
S 先生にセカンドオピニオンについて相談する
快諾していただいたうえ外科手術のよい先生を紹介してもらう
2003 - 03
紹介していただいた T 医大付属病院に転院
執刀を I 先生に委ねる
すい臓がん発見から 3週間後に手術
すい頭部と十二指腸、胆のうを切除
術後 2週間ほどで退院
自宅療養を開始
2003 - 04
散歩をして体力回復
お花見
バラ園に行く
抗がん剤 TS-1(ティーエスワン)を開始
特に副作用なし
2003 - 05
執刀の I 先生が T 付属病院に移動
I 先生を追いかけて通院を T 付属病院に変更
片道 2時間の距離を 3週間に一度の通院
アガリクス、プロポリス、サメ軟骨などのサプリを飲み始める
2003 - 06
引き続き TS-1 実施
腫瘍マーカーの結果は良好
体力もばっちり回復
2003 - 07
引き続き TS-1 実施
腫瘍マーカーの結果は良好
5年生存率 2.5% を信じて治療
チプルママの孫娘が夏休みで遊びにくる
箱根に温泉旅行
2003 - 08
引き続き TS-1 実施
腫瘍マーカーが少しあがる
今まで無かった副作用が出始め味覚が無くなってくる
汗をかきながら散歩の日々
2003 - 09
引き続き TS-1 実施
腫瘍マーカーがまた少しあがる
食事をしても副作用で苦くなる
抗がん剤をジェムザールに切り替える
NewMINI 購入
買い物に大活躍
2003 -10
引き続きジェムザール
TS-1 の副作用が抜けずに食事がおいしくない
それでもがんばって食事を続ける
体重は維持
2003 - 11
引き続きジェムザール
腫瘍マーカーに変化はなく効果があると判断
ただ副作用があり気だるい感じが強くなる
紅葉を見にドライブ
2003 - 12
引き続きジェムザール
腫瘍マーカーは維持
頭髪が抜け始めるが見た目はそれほど気にならない
チプルママはショックだったらしい‥‥
2004 - 01
引き続きジェムザール
腫瘍マーカーが少しあがる
副作用は引き続き同じ状態
年が変わって、すぐ近所の神社に初詣出
そのままほとんど寝ないで NewMINI で初日の出を見に行く
チプルもチプルママも生まれて始めての初日の出
来年も必ず来られるようにお願い
2004 - 02
62歳の誕生日
突然の震えと発熱
深夜病院に運ばれ胆管炎と診断
抗生物質の投与で治療
同時に実施した CT 検査で肝臓への転移が見つかる
腫瘍マーカーもあがっているためジェムザールと TS-1 の併用を実施
テレビで秋田の玉川温泉を知る
なんとか強引の予約
2004 - 03
ジェムザールと TS-1 の併用
副作用は良くも悪くも同じ状態を維持
お友だちと桜を見に行く
2004 - 04
ジェムザールと TS-1 の併用
副作用は良くも悪くも同じ状態を維持
NewMINI で花見に行く
玉川温泉で湯治
同じがんで悩みを持つ人とお友だちをつくり元気をもらう
2004 - 05
ジェムザールと TS-1 の併用
腫瘍マーカーが少しずつ上がり始める
ゴールデンウィークに箱根旅行
2004 - 06
ジェムザールと TS-1 の併用
腫瘍マーカーはやはり上昇中
玉川温泉で再び湯治
町田にある岩盤浴を見つけ行ってみる
2004 - 07
ジェムザールと TS-1 の併用
腫瘍マーカー上昇中
しかし他の有効な手だてが見つからない
近所のアジサイ園に行き記念撮影
2004 - 08
ジェムザールと TS-1 の併用
腫瘍マーカー上昇中
体力を考え散歩を自粛
食欲も落ち始め体重も減る
お友だちと小田原旅行
2004 - 09
ジェムザールと TS-1 の併用
腫瘍マーカー上昇中
頭髪の抜けが多くなったのでパーマを止めてサラサラヘアー
バラ園にプチ旅行
2004 - 10
ジェムザールと TS-1 の併用
I 先生から腫瘍マーカーの上がり方があまりよくないとのお話
体力が落ちてきたのでお散歩は自粛
2004 -11
ジェムザールと TS-1 の併用
秋田の玉川温泉に湯治
散歩自粛のため歩くスピードが落ちてくる
秋田から帰ってきて二日で 2004 - 02 にでた発熱と震えが出る
救急車で I 病院へ行きそのまま入院
入院中は抗がん剤治療を一時お休み
抗生物質の治療し退院目前で黄疸が出る
腹部にバイパス処置で管を通し胆汁を抜く
2004 -12
バイパス処置が安定したのでそのまま自宅療養に切り替え
この管を抜く処置をしてもらえると信じてがんばる
抗がん剤の治療はお休み(この時点で何かイヤな予感が)
退院当日になり腰痛になる
かなりの激痛らしかったがそのまま退院させられる
食欲はかなり落ちてお茶漬けやお餅などの食べやすいものを食べる
月末の通院で管を抜いてもらえるか期待するがそのままの状態で年越し
軽い記憶障害みたいになったりバイパス処置した部分から水が出てきたりしたのでほぼ毎週の深夜 NewMINI で病院に出動
腰の痛みを普通の腰痛と信じて近所の U 整骨医院に通う
ここの先生がよい人でテーピングやマッサージが効果てきめん
必ず治りますよという言葉を信じて通う
小さなクリスマスケーキでお祝い
2005 - 01
お腹に管が入った状態で積雪もあったので初日の出は断念
お雑煮を食べるがそれ以外のお正月の食事は自粛
I 先生から家族にのみ余命の話をされる
詳しい状況の説明が無い状況でいつ何が起こっても不思議ではないお話をされる
来月の誕生日も微妙とも言われてしまう
チプルママにその話はせず腰痛とバイパス処置を適切にやってくれるだろうからと初めて診てもらった I 市立病院の S 先生に診てもらうことを提案する
S 先生に快諾していただいたのでその日のうちに入院
入院したその日のうちにすべての検査をしていただきその結果のお話
腹部内全体への転移であることが腰痛の原因であること、胃の出口に大きな腫瘍ができているので食欲が落ちていること、腹水と右胸水が溜まっているため呼吸が少し苦しくなっていること、肝臓の半分以上に水が溜まり膿状となって胆汁が正常に流れ出ていないこと、などなど詳細な状況を説明していただく
残念ながら治療ができないことの説明を受ける
痛み止めの点滴で症状の痛みの緩和が見られる
美味しいお水やフルーツなどを毎日持参する
食欲は激減
2005 - 02
63歳の誕生日
プーさんのタオルやぬいぐるみとデジタル置き時計をプレゼント
腹水、胸水の溜まりがひどく足の浮腫みもすごい
時間の感覚が無くなってきたり字を書くことが遅くなったりする
2005 - 03
腹水を 2リットル抜く
胆汁がほとんど出ていない
尿の管を入れ寝たきり
苦痛のためモルヒネの投与
意識が朦朧としているがお見舞いのお友だちには反応する
2005 - 03 -15 13:56
家族全員に見守られながら静かに息を引き取る
享年 63歳
この約 2年間の記録が、同じ病気で悩んでいる方の参考になれば幸いです。
チプルママ vol. 20
とりあえず、チプルママの病気に関することは昨日で一区切り。
もちろん、気持ちの整理なんてついていません。
母親の病死を目の当たりにしてしまうことのショックは、言葉では言い表せませんから。
あんなにがんばったのに、なぜ助けられなかったか。
これからってときに、なぜすい臓がんになってしまったのか。
なぜ、チプルママだったのか。。。
でもこの日記にチプルママのことを書いた理由は、同じすい臓がんと闘っている人とその家族に向けて、少しでも役立つ情報を発信したかったから。そして、チプルママの生きていた証を少しでも残したかったから。
この二つの目的は、ある程度達成できたかな、と思います。
これから、仏壇を作ったりお墓を作ったり、そしてチプルなりの気持ちの整理をつけないといけません。
たまに愚痴ってしまうかもしれませんが、気持ちの整理の葛藤は自分の中だけにしまっておきます。この日記に綴るのは本位ではないので、できるだけ避けようと思いました。
そのかわり、仏壇やお墓を作るにあたってのことは、色々書いていくかもしれません。
最後に、今回の出来事で感じた、今の感想を書いて締めくくります。
親の死は、子供に対する体を張った最後の教育なのだと感じました。
だからチプルママの死で、たくさんのことを学び反省しました。
反省は、次に生かさなくてはなりません。
チプルがもっとすい臓がんについて知っていれば、もっと早い段階で発見できていれば、チプルママは‥‥。
なのでできるだけ、がんにならない予防について勉強します。
なってしまったときは、どのような対処が必要なのか、早期発見するためにはどのような知識が必要なのか、情報を集めたいと思います。
本当に、無知は罪です。
そして、チプルママより長生きします。
彼女の見られなかった世界をこの目で見つめて、墓前でお話しようと思います。
今よりも、チプルママよりもハッピーになって、チプルママの子どもで良かったと、もっと思えるようになりたいと思います。
今、出せる答えは、これで精いっぱいかな。
05 : 語学
06 : 相武紗季たん情報 vol. 8
12 : チプルママ vol. 11
13 : チプルママ vol. 12
14 : チプルママ vol. 13
15 : チプルママ vol. 14
16 : チプルママ vol. 15
17 : チプルママ vol. 16
18 : チプルママ vol. 17
19 : チプルママ vol. 18
20 : チプルママ vol. 19
21 : チプルママ vol. 20
22 : NHK の受信料
23 : iLife '05
24 : お線香
25 : 初詣